大きな椰子の木の下で

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人騒がせな...  投稿者:Sampon  投稿日:2008年 9月 9日(火)01時21分30秒    編集済
  1週間ほど前、ニューギニアのココダトレイルで「木にからまったパラシュートにぶら下がった第二次大戦のパイロットの遺体らしきものが見つかった」というニュースがウェブ上で流れました。パラシュートの索や布地が60年も密林で残るものなの?と少なからず疑問に思っていたのですが、今日になって続報がありました。なんと、遺骨らしきものは苔むした木の枝、パラシュートの紐はツタだったとのことです。遺骨の確認のためポートモレスビーからオーストラリア大使館が人を派遣したところ判明したそうで、なんとも人騒がせです。でも、自分が遺骨収集に参加した経験からも、確かに御遺骨と木の根や枝の区別がつきにくいことがありますね。逆パターンで遺骨が見逃されていたのではなかったことにほっといたします。

京都の平八郎様、

写真の投稿誠にありがとうございました。これも「藤」に乗艦されていたお祖父様の撮影されたものでしょうか?建物も写っておらず、この前後の写真も拝見しないことには見当がつきませんね。椰子並木(上下の写真で上はココヤシですが、下のとは樹種が違いますね)は熱帯、亜熱帯何処でも見られますから、これだけではちょっと...道が綺麗に整っていることから米英の植民地ではないかとも想像しますが、どうでしょうね。写っている人物の着ているのがフィリピン人の「バロン・タガログ」のようにも見えますが、さて真実は如何に?
 

絵葉書を参考に  投稿者:京都の平八郎  投稿日:2008年 9月 6日(土)23時25分35秒
  この絵葉書から勝手に想像しました
(行った事がないもので・・・)
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パラオかも?  投稿者:京都の平八郎  投稿日:2008年 9月 6日(土)23時23分29秒
  Samponさんこんばんわ
この写真、自分勝手にパラオと思っています。
ぜんぜんちがいますか?
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京都の平八郎様  投稿者:Sampon  投稿日:2008年 9月 5日(金)08時03分28秒
  お久しぶりです。写真の投稿ありがとうございました。

海上給油の写真とは珍しいですね。「石廊」と「神威」と同型艦ではないでしょうが、ブリッジの形状は良く似ています。二隻ならぶと「藤」の細さが目に付きますね。
 

給油艦つながりで  投稿者:京都の平八郎  投稿日:2008年 9月 3日(水)19時58分16秒
  給油艦『神威』に給油される藤です
おじいさんは藤に乗っていたそうです
私も三重県四日市在住です
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「石廊」のこと  投稿者:Sampon  投稿日:2008年 8月30日(土)23時38分35秒
  パラオから帰ってきて早一ヶ月になってしまいます。日々の仕事に追いまくられて記憶も遠くなりがちですが、思い出を風化させないように洗面所に写真や記念品を飾るパラオコーナーを設けて思い出すようにしています。

さて、最近南洋方面に旅行しても専ら沈船ばかり潜るようになりましたが、今回の旅行ではパラオの海底に沈む海軍給油艦「石廊」に潜ってまいりました。記録によれば「石廊」は聨合艦隊所属タンカーとして参戦、昭和19年3月30日のパラオ大空襲で攻撃を受け、2週間燃え続けた末に海底に没したとのことです。1万5千トンを超える大型の艦ですので水中で大変な迫力があり、また透明度もパラオの内海にしては悪くなく、何枚か(私にしては)良い写真が取れましたのでお見せいたします。

「石廊」はまた慰霊の場として特別な意味を持っておりまして、海軍機関兵として乗艦中に空襲に遭った、数少ない「石廊」の生存者で今も戦友の霊を弔い続けておられる方がおられます。三重県四日市在住の石川富松さんという方で、お年は今年で90か91歳になられるでしょうか。3年前には厚生労働省に働きかけて「石廊」の遺骨調査を実現させただけでなく、80台後半の高齢をおして水深30m近い「石廊」の機関室に潜っておられます。その水中慰霊を一緒に潜ってお手伝いしたダイビングガイドさんに今回お世話になってお話を伺ったので、私も大変関心を持っておりますし、私が関心を持っておりますトラックの水中遺骨の収集についても大いに参考になります。こんなお年の方が水中慰霊に取り組んでおられるというのは、私には大いなる発奮材料となります。頻繁に海外に行くにはお金も時間も足りませんが、精一杯できることを続けたいと思う次第です。
 

20年8月15日  投稿者:Sampon  投稿日:2008年 8月16日(土)00時00分37秒
  今日で先の大戦の停戦から63年経ちます。皆様もそれぞれの場所、立場からこの日を迎えられ、戦没者を想い、平和について考えられたことと思います。私はおととし、去年に続いて靖國神社に参りました。だんだん戦争体験者の数が減ってゆくのも寂しいですが、それでも高齢をおして参拝されている方々の姿を拝見すると胸が熱くなります。もちろん、靖國以外の場所でも様々な尊い祈りが行われていたと思います。それにしても、今日も暑い一日でした。追悼行事に出席されて体調を崩したりされた方もおられたと思います。皆様もご自愛くださいませ。

おいどん様

写真の現像屋さんには厳しい世の中でしょうね。銀塩写真という文化が無くなってしまわないよう祈りますが、環境面で見ると化学物質を大量廃棄しなくなるのは良いことなのかも知れません。
 

フイルムカメラ  投稿者:おいどん  投稿日:2008年 8月13日(水)14時05分11秒
  samponさん、フイルムカメラはデジカメの高性能化により、段々見かけなくなりつつあります。
自分もかつては写真業界に身をおいていましたが、現代の状況ではかなり苦しい経営となってると
思います。
フイルムカメラにはデジカメでは得られない様々な技法があります。
例えば、現像段階で行う増感現像、焼付け段階で行う様々な技法です。
それらの技法はデジカメでは、中々出来ないと思いますが、多分将来的には解決するかも。。
どうもフイルムカメラには厳しい来世ですね。
水木しげるはニューギニア戦線で片腕を無くした戦士です。
そう言えばアンパンマンの作者、やなせたかしも出征してますね。
現代日本で戦争を本当に語れる漫画家はこの二人のみでしょう。
先日話したゲゲゲの鬼太郎の一説は、子供時代に見た話の一説です。
サイボーグ009でも、海底の旧日本海軍が亡霊となってアメリカに敵対するシーンが
ありましたが、この二つのアニメのシーンは大人なっても強烈に残ってます。
もし日本軍がアメリカで敵対しなくて、現代にも日本軍があったら、おそらく今の
世俗とは別物だったと確信します。
 

フィルムに寄せて思うこと  投稿者:Sampon  投稿日:2008年 8月13日(水)02時22分2秒
  給料日まで飢え死にせずに過ごせる目処がついたもので、パラオで撮影した40本余りのフィルムを現像に出しました。最近、現像に出すたびにフィルムで撮るのもこの先どれくらいだろうなぁ、と考えるようになりました。フィルムの供給と現像体制がいつまで続くか、どうも心細い気がするからです。サイモン&ガーファンクルが歌に歌ったコダクロームなども気がつけば姿を消しているし、永遠に続くように思われたものも意外とあっけなく終わりを迎えるものだとつくづく思います。

ニコンD3やD700といった最新のデジタル一眼が高すぎて手が出ないこともありますが、時代の流れに取り残されようと、フィルムに愛着があるのでフィルムが売られ続け、現像ができる限り撮り続けるつもりです。フィルムの中でもお世話になったのが写真左の「ベルビア」です。昨年買っておいた旧バージョンのベルビアを今回の旅行で使い果たしたので、これからは「ベルビア50」と名前の変わったものを使うことになりますが、大げさなようですがそれだけでもひとつの時代が終わったような気がします。というのももうすぐ息子が2歳になって飛行機代が掛かるようになると海外にも滅多に行けなくなるだろうし、バシバシとフィルムで撮りまくる旅行もこれで最後のような気がするからです。

ベルビアは感度が低めですが低緯度地方の強烈な日光の下で主に写真を撮ってきた私には全く気にならず、発色が鮮やかで粒子の細かいこのフィルムを20年弱主力フィルムとして1000本は軽く使ったと思います。それで大して写真が上達したという訳ではないけれど、長い間ありがとうございました、という気持ちです。さようなら、ベルビア。

おいどん様

どうも、お久しぶりです。「鬼太郎」のアニメにそんな話がありましたか。作者の水木しげる氏がニューブリテンの激戦経験者ですから、そういったストーリーがあってもおかしくありませんね。ペリリューの将兵の奮闘には本当に頭が下がります。また一方で犠牲の大きさ、戦いの悲惨さに慄然とするものもありまして、手放しで礼賛もできません。故郷で兵士の帰りを待っていた家族たちは、手柄を立てて散るよりも生還を望んでいたに違いありません。だからこそ、慰霊の祈りが大事に思えるのです。
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ご無沙汰してました。  投稿者:おいどん  投稿日:2008年 8月10日(日)13時05分21秒
  samponさん、おいどんです。
ご無沙汰していました。
身辺が忙しくて、ようやくwebも落ち着いて見れるようになりました。
また遊びに来ますので宜しくお願いします。
ペリリュー島は、狭い面積の島全体が地獄となった悲劇の島ですね。
生き残りも少なく、実体験の話もあまり聞けません。
昔、「ゲゲゲの鬼太郎」と言うアニメで、戦時中の激戦の地を訪ね、生き埋めと
なった罹災者の遺骨と対面するシーンありましたが、ペ島はそれを彷彿させます。
でも日本人は立派に戦ったと思います。
この自信が戦後を支えたと思うのです。
世界の資産に戦艦大和がありますが、大和を作った技術が世界の信用を得た一つと思います。
万一、大和を作っていなければ、日本はタダの島国としか思われていなかったと思います。
戦前の栄光は忘れてはいけません。
また来ます。
 

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