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嶋田繁太郎海軍大臣

 投稿者:CinC-GF  投稿日:2009年 5月 5日(火)10時52分36秒
  昨日の日経新聞に 嶋田繁太郎海軍大将の 「獄中記」(抜粋)が掲載されてゐる。
解説の 秦 郁彦氏は「・・主目的は、真珠湾攻撃を事前通告なしの『だまし討ち』だったと立証し糾弾する・・」云々とコメントしてゐる。
これについて、小林正樹監督作品ドキュメンタリー「東京裁判」の中で嶋田大将はWebb裁判長の特別許可を得て、蕩々と東郷重徳外務大臣に反論して、「帝國海軍は創設以来 国際法に反する事を企図したり実行した事は絶対にない!」と大見得を切る場面の映像が残されてゐる。
通告時間を 当初の攻撃開始一時間前から、直前になって三十分間繰り上げた経緯はよく知られてゐるが、私自身 帝國海軍が『無通告攻撃』なんかやる筈がないと 堅く信じて その経緯をHPに書き込んでゐた。 ところが それを読まれた方からのご指摘で調べてみたところ、参謀本部戦争指導班日誌に 外務省からの事前通告進言に「軍令部不同意、当部また不同意」と明記されてゐる。
嶋田さんの勘違いか、事実を知らなかったのか、はたまた 知ってゐて 帝國海軍の名誉のための強弁であったのか、今となっては 真相は永久に判らない。

http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/daitouryou.shinjuwan.html

 

新刊発売決定

 投稿者:GO  投稿日:2009年 5月 2日(土)21時05分28秒
  こんばんは
Sampomさんの掲示板で広報させていただきます。
私の新刊「呉戦跡ガイドブック」が6月下旬に、光人社より発売される事となりましたので、よろしくお願いします。
詳細はこちらを参考にして下さい。
http://www.h3.dion.ne.jp/~okumoto/page003.html

http://www.h3.dion.ne.jp/~okumoto/

 

ご無礼をいたしました

 投稿者:Sampon  投稿日:2009年 3月22日(日)00時18分58秒
  ヒロ様、kan様、GO様、CinC-GF様

冬の間はだいたい3分の2は風邪をひいていて体力気力無く、残りの3分の1は仕事か家族対応で時間がありませんので、書き込みのご返事もできず大変失礼いたしました。こんなことしているから掲示板が寂れてしまうのですね。HP再開も目下プロバイダーを検討中ですので少々お待ちくださいませ。

さて、ヒロさん、和歌山の優雅な自然密着生活は羨ましい限りです。時間が許せば南紀白浜温泉、熊野古道や高野山も行ってみたいのですが、なにしろ遠いですからいつになりますやら。海岸の秘密回天基地やご自宅の近くの砲台の情報が手に入りましたらお知らせください。kanさん、GOさんと一緒に楽しみにお待ちしております。

CinC-GF様

斎藤、南雲両中将は副官らによって介錯されたというのが定説ですね。米軍は斎藤中将のご遺体をサイパン戦終結後発見して丁寧に埋葬したことになっていますが、これには異論もあるそうです。あれだけ戦史上有名な戦いにせよ分からないことが多いものです。お隣のテニアンでも角田覚治中将の最期の地が何処かすら分かっていないとのこと。硫黄島の栗林中将の最期についても最近も随分議論を呼んでいるのはご承知のとおりです。今分からないのでしたら、あるいは明智光秀謀反の真相のように後世永遠の謎になってしまうのかも知れません。何か情報がありましたら、ぜひご高説をお聞かせくださいませ。
 

色々あるようですねー

 投稿者:CinC-GF  投稿日:2009年 3月19日(木)09時40分35秒
  ちょっと調べてみたのですが、「七月七日に最後の総攻撃で日本軍は全滅。井桁参謀長、斉藤義次師団長は総攻撃の前日に地獄谷に司令部で自決した。」(新人物往来社 陸軍師団総覧)とあり、別の資料では齋藤義次中将の戦死日時を19.7.6 井桁敬治31A参謀長ならびに鈴木卓爾43D参謀長のそれは 19.7.18 となってゐます。
一方 海軍関係者では 南雲中将、矢野英雄参謀長、高木武雄6F長官、佐藤源藏空廠長いずれも戦死日時は 19.7.8 となってをり、陸海別行動であったことを伺わせます。
43D情報参謀に 平櫛 孝中佐と謂う人がゐて、ピカピカの長靴姿で米軍から特別待遇され、一説では、テニヤン・グアムに関する情報を提供して、米軍に多大な貢献をしたなんて謂う説も まことしやかに囁かれてゐますが、目下 週刊新潮に連載中の 桐野夏生「ナニカアル」に盛んに登場する 大本営陸軍報道部の 平櫛少佐と同一人物だと考えられます。
戦後 無事復員されたと仄聞しますので なにか真相を書き残してゐるかも知れません。
高木武雄中将の戦死についても 種々 異説あり、真相と謂うものは なかなか判らないものです。
 

日本兵捕虜埋葬名簿

 投稿者:CinC-GF  投稿日:2009年 3月18日(水)13時04分57秒
  讀賣新聞西部版に「名簿」が公表されてゐます。
埋葬地別の名簿、サイパンに「サイト ヨシゲ 中将 44/7/11」の名前が見えます。
齋藤義次陸軍中将の事でせうか。
士候二十四期、第四十三師団長。 公式には 19.7.6 サイパンで戦死と謂う事になってをりますが。 重傷で米軍に収容され、五日後に絶命されたと謂うことでしょうか?
まだまだ戦史には判らないことがたくさんあるようです。
衷心ご冥福をお祈り申し上げます。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/yomiuri/horyo/

 

基地

 投稿者:ヒロ  投稿日:2009年 3月 3日(火)20時02分0秒
  kanさん、GOさん
こんばんは。

>白崎
場所がかなり違います。
あまり知られていないようですね。
今週か来週にも見てこようかと思っていますので、何かあれば皆さんにお知らせします。
家の近くにも砲台などがあったようですが・・・情報がありません。
 

和歌山と言うと

 投稿者:GO  投稿日:2009年 3月 1日(日)22時04分43秒
  >ヒロさん
それは白崎回天基地でしょうか?

http://www.h3.dion.ne.jp/~okumoto/

 

回天壕

 投稿者:kan  投稿日:2009年 2月27日(金)22時17分27秒
  ヒロさん
初めまして。おっしゃっている回天壕は白崎の事でしょうか?
色々なサイトに回天壕と紹介されているのは、関連施設かも知れませんが回天壕ではないと思います。回天壕は岬の北側に僅かに入口が見えます。
 

ご無沙汰しております。

 投稿者:ヒロ  投稿日:2009年 2月25日(水)15時35分4秒
  Samponさん
どうも、ヒロです。
田舎に越してきて、はや数ヶ月・・・こちらの時間の流れにようやく慣れてきたというところです。
毎朝、鳥の鳴き声で起き、夕方は浜で夕日を見て、畑から野菜を穫って帰るのが習慣になりました。
ダーウィンは好きな番組ですが、その回は見逃してしまいました。
そんな自然がまだ残っているんですね。

たまに通っている海岸に戦時中に建設されていた回天の秘密洞窟があると知り、今度見てこようかを思っています。
建設途中で終戦、放棄されたので、単なる洞窟で荒れはれているということです。
和歌山県田辺市は戦時中に田辺海兵団が配置され、終戦後は引き上げの港として、多くの日本人が帰国したのですが、現在では碑だけが残っているそうです。
近所の亡くなったおじいさんは元海軍の水上機パイロットで先日素晴らしい写真を見せて頂きました。

硫黄島を占領したアメリカ陸軍航空隊の爆撃機クルーの方から硫黄島での写真を頂きました。
日本軍の装備の残骸ばかりで、何とも複雑な気持ちになってしまった・・・
硫黄島にはいつか行ってみたいですね。
 

南硫黄島

 投稿者:Sampon  投稿日:2009年 2月13日(金)22時33分28秒
  1月はあっという間に慌しく過ぎ、2月も中旬になってしまいました。2月1日、NHKの「ダーウィンが来た」という番組で南硫黄島の特集を放映したのをご覧になった方もいらしたかと思います。かつては「みなみいおうじま」と呼ばれていたのですが、硫黄島の呼称が「いおうとう」になったのにともない、こちらも「みなみいおうとう」と一昨年から呼ばれるようになったと、国土地理院のサイトに書いてありました。番組では硫黄島の話は一切出ませんでしたが、南硫黄島は硫黄島からは目と鼻の先です。写真は昨年11月硫黄島に行った際、着陸直前の機窓から撮影したもので、水平線上に浮かんでいる三角形の山が南硫黄島です。

番組の内容は大変興味深いものでした。日本では数少ない、全く人間活動の影響が無く、ねずみの侵入もなかったということで、原始の自然が生きています。ちなみに硫黄島は明治以降入植者があったし、戦後は戦火で荒れ果てた島に米軍がギンネムの種を蒔いたため島全体がこの木に覆われていて植生はまったく変わってしまっています。また、南洋の島で良く見かけるアフリカマイマイも繁殖していて、動物相も随分変化しています。私が島内でアフリカマイマイを見かけて声に出して言ったときには、ガイドの自衛官は反射的に「さわらないで下さい」と仰いました。このカタツムリは広東住血線虫という寄生虫を宿していて、触るだけで感染する恐れがあるのです。戦中、アフリカマイマイは敗残の身になったり戦線の後方に取り残された日本兵たちには貴重な栄養源だったのですが、生で食して広東住血線虫に感染し、脳髄膜炎を起こして亡くなった人も多かったそうです。

南硫黄島にはアフリカマイマイはもちろん、他の島々で問題になっている外来種は一切入ってきていません。この貴重な自然が永遠に保たれることを祈ってやみません。長年の夢であった硫黄島訪問が叶った今、この番組を見て今度は南硫黄島に行きたくてたまらなくなりましたが、こちらの夢の方は叶いそうもありません。
 

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