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Climb Mt. NIITAKA 1208

 投稿者:CinC-GF  投稿日:2009年10月10日(土)08時21分3秒
  明日付けで発行予定の ASAHI WEEKLY No. 1888 Page-7 STARTING LINE記事を見て驚いた。
長崎縣佐世保 針尾が「ニイタカヤマノボレ1208」発信の無線塔だとして紹介されたゐる。
署名記事ではなくて (The Asahi Shinbun) となってゐるので、朝日新聞からの引用記事だと思はれる。
この記事が”巧妙”と謂うか 狡いと謂うか、「Some historians believe the fateful message, "Niitakayama Nobore 1208," was sent as an encoded telegram from the towers on Hariojima island off the city.」として事の信憑性を疑いながら、事実確認を巧妙に逃れてゐる点である。 問題は眞実を知らない読者が読めば「針尾から発信された。」と単純に理解してしまう事である。
佐世保市が主張してゐる「根拠」なるものはまことに薄弱なもので遺憾千万。 船橋市が沈黙を守ってゐるのも不可思議である。 海上保安庁は流石にHPから「針尾」を削除したが。

ところで、十二月が近づくと またまた関連報道が始まる。 眞珠湾特殊潜行艇の内、最後まで所在の判らなかった五艇目(横山艇の蓋然性が高い)が発見され、NHKが今年の「大詔奉戴日特集番組」として 独占映像放映予定だとか。 産経新聞あたりが飛びつきそうな特ダネの筈だが、誤報なのか、それとも 報道管制が徹底してゐるのか 早く事実を知りたいところ。

http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/niitakayama.nobore.html

 

裏ムンダ大砲三態

 投稿者:Sampon  投稿日:2009年 9月13日(日)00時49分1秒
編集済
  「裏ムンダ」のエノガイには呉第六特別陸戦隊(呉六特)の使用した三年式十四糎砲が4門あって、興味深いことにそれぞれが異なった形で残っています。

先にお見せした1門は防循(砲のカバー)も備えた完全な形で残っていましたが、これは2番目に見た砲。最初の1門は防循の無いものでした。設置された時から無かったというのも不自然だし、外したにしては周辺に防循が見当たりません。

3門目の砲は1門目と同じく防循がなく、砲身が後座した状態でした。そして4番目の砲は防循はありましたが砲身が外されていて、砲座の後方3、4メートルほどの所に砲身が転がっていました。

どの砲も敵と交戦したような痕跡はなく、復座器のスプリングが外されて海中に転がっていたりしたのは、陸戦隊の撤退に当たって砲が使えないようにしたものでしょうか。呉六特の戦時日誌にでも当たって調べてみたいと思います。

http://panda1945.net/album/ocean/index.html

 

ムンダ周辺

 投稿者:Sampon  投稿日:2009年 9月12日(土)16時26分36秒
  今回は1週間でソロモンのうちガ島、ムンダ、ギゾ、バラレ、ショートランド諸島を見てこようという無茶苦茶に詰め込んだ日程だったもので、どこに行っても駆け足でした。

ソロモン初日の午後4時過ぎ、ムンダ飛行場につくと土砂降りの雨、先に降りた乗客たちはDHCツイン・オッター機の主翼下で雨宿りしています。幸いにしてすぐに小降りになり、傘を持って迎えに来てくれた、懐かしの宿「アグネス・ロッジ」のスタッフと合流して宿舎に向かいます。驚いたのは、前回来たときには閑散としていたムンダ空港からロッジまでの道の両側に商店が立ち、町らしき様相を呈していたことです。アグネス・ロッジもずいぶんと拡張されてバンガローなど出来て、昔の素朴な宿からはスタイルを一変していました。現在のオーナーに変わってから積極的に周辺観光地も含めた開発に取り組んでいるとのこと。初めて訪れた21年前と比べ、時代の流れを感じさせます。

ムンダでの一泊後、ボートをチャーターして「裏ムンダ」と呼ばれる一帯へ向かいました。ダイヤモンド水道を通って、クラ湾に面したエノガイ周辺の砲台跡を見に行きます。この地には4門の三年式14センチ砲が残っています。写真家にして戦史記録作家であられる神立尚紀氏の「零戦隊長」の記述には呉第六特別陸戦隊が戦艦「伊勢」が航空戦艦に改装された際に撤去された副砲を装備してムンダの守備に当たったとありますので、これらの砲は「伊勢」の副砲に間違いなさそうです。

http://panda1945.net/album/ocean/index.html

 

ホニアラからムンダへ

 投稿者:Sampon  投稿日:2009年 8月22日(土)01時48分26秒
  この暑さに油断して、不覚ながらこの真夏に風邪をひいてしまい、今週2日も仕事を休みました。日本経済と同じように、やっと回復基調に乗ったかな、というところです。咳止めを呑んでひどい咳をごまかしながら今日は仕事してました。

さて、ソロモンに話を戻しますが、今度の旅では今までと違って首都ホニアラに立ち寄らず、日程の都合上ヘンダーソン空港からまっすぐムンダを目指しました。乗り換えに2時間あったので余裕と思いきや、入国審査に時間が掛かったのと、国際線と国内線ターミナルとが荷物を抱えてだと15分近く掛かったので、国内線カウンターに着いたときは結構出発時刻近くになっていました。

ここでまたも荷物のオーバーウェイト料金が発生して気がついたのです。しまった、国際線ターミナルで現地通貨に両替してくるのを忘れた!炎天下を慌てて全力疾走します。しかし出発ターミナルにしかない両替所は閉まっていて、さっきまで開いていたような形跡もなし。仕方なく、ATMで最小限の額をクレジットカードでキャッシングして、国内線ターミナルに戻るとちょうどボーディングが始まるところです。

汗をだらだら流しながら、一刻も早く上昇して涼しいところへ行ってくれ、と祈ります。やがて離陸、イル川河口、ルンガ岬を見下ろしながら旋回し、ガ島北岸に沿って機は進んで行くのですが、タサファロングを過ぎた辺りから雲が掛かって下が見えなくなり、同時に私の意識も段々薄れて眠りへと落ちてゆくのでした。

写真は国際線出発ターミナルに飾ってあった零戦のものらしきプロペラ(帰国時には巻尺で径を計ってこようと思いつつ忘れました)、懐かしの国内線ターミナル、そしてルンガ川河口付近です。

GO様

貴著拝受いたしました。私の写真を使ってくださってありがとうございました。また陸奥に写真を撮りに行きたいと思いながら、もう4年以上経ってしまいました。GOさんには変わらぬ活躍ぶりでなによりです。

おいどん様

おひさしぶりです。色々と大変なご様子ですが、ネット環境が整ってよかったですね。健康には気をつけられてください、と自分のことは棚に上げてみます。
 

ご無沙汰していました。

 投稿者:おいどん  投稿日:2009年 8月16日(日)16時12分37秒
  samponさん、ご無沙汰していました。
賀状も頂いていましたが、返礼も出せない程の極貧状態で、お詫びいたします。
何とかネットと居住地を確保できましたので、とりあえずお詫びのお言葉のみで。。
昨年から始まった平成大不況のため、仕事も居住地も失い、一時は難民となっていました。
何とか国に保護して貰い、再起の道を模索している最中です。
では、また遊びに来ます。
おいどん
 

なつかしのソロモン

 投稿者:Sampon  投稿日:2009年 8月14日(金)12時45分37秒
  初めてソロモン諸島を訪れてから2回目まで4ヶ月、次に行くまでが8年、こんどは12年ぶり4度目のソロモン行きでした。今までで一番間隔を置いての訪問だったので変わりぶりも大きく、着陸までに見た光景からも首都ホニアラ周辺の道路が広く綺麗になり、沿道に建物が増えていたのが見てとれました。空港の国際線ターミナルも新しくなっていて姿を一新し、かつてのターミナルは国内線専用として残っていました。

写真はルンガ岬とヘンダーソン飛行場、そして新装成った国際線ターミナルです。
 

あれから2週間

 投稿者:Sampon  投稿日:2009年 8月11日(火)23時06分20秒
  豪州経由ソロモンから帰国してあっという間に2週間が経ちました。デジカメで撮った写真も量が多くて取り込みも終わっておらず、気分的にはまだ旅装を解いていない状態です。かなり忙しく動き回ったので行った場所、会った人名の整理も早くしていかないとどんどん忘れていってしまいそうです。備忘録的にぽつりぽつりとこれからソロモンの旅について書いていきたいと思いますので、しばらくお付き合いくださいませ。

http://panda1945.net/album/ocean/index.html

 

よろしくお願いします。

 投稿者:GO  投稿日:2009年 7月31日(金)20時02分18秒
  8月10日、光人社より私が書いた「呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック【付/宮島・岩国・広島周辺の戦争遺跡】」が発売されることになりました。
書店で見かけた際には、よろしくお願いします。
 

シドニーにて

 投稿者:Sampon  投稿日:2009年 7月28日(火)22時01分41秒
  ソロモンの旅も無事に終わり、今シドニーにて帰国前最後の数時間を過ごしています(ブリスベンではできた日本語入力ができなかったので、帰国後に編集いたしました)。

今日はオーストラリア海軍基地の中の「クッタバル」慰霊碑を見てきました。昭和17年5月31日に特潜隊伴勝久少尉艇の攻撃で船と運命をともにした21名の名が記されています。この慰霊碑を前に日豪両軍の戦死者に対して追悼の祈りを捧げてまいりました。

あと3時間で帰国便に搭乗です。

http://panda1945.net/album/ocean/index.html

 

無事出国出来てなによりです。

 投稿者:CinC-GF  投稿日:2009年 7月21日(火)08時39分15秒
  いろんな事がおこりますねー。  活動されてゐる証拠ですよ。 ともかく無事出国出来てなによりです。
ところで、地名の件、豪州 HEMA 社の地図を金科玉条にしてKilimbangaraだと信じ込んでゐたのですが、ネットで調べたところ Colombangara, Kolombangara, Kilimbangara と三通り使われてゐるようですね。
A Battle History of the Imperial Japanese Navy とか And I was there とか米国海軍では Kolombangara で統一されてゐるようなので 帝國海軍が コロンバンガラ としたのは正解・正鵠のようです。  日本の学術論文では Kilimbangara が使われてゐるようなので なにか謂われがあるのでしょう。

http://www2.netwave.or.jp/~kamasuda/png32.html

 

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