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明けましておめでとうございます

 投稿者:Sampon  投稿日:2009年 1月 1日(木)23時10分12秒
  元日も残すところ1時間を切ってしまって何ですが、改めまして新年のご挨拶を申し上げます。未曾有の経済危機とイスラエルのガザ空爆による戦争危機から始まる一年ですが、ポジティブ思考で乗り切って行きたいと思います。

GO様、そして直メールをくださった皆様、本年もよろしくお願いいたします。
 

謹賀新年

 投稿者:GO  投稿日:2009年 1月 1日(木)08時57分4秒
  あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

http://www.h3.dion.ne.jp/~okumoto/

 

今年もあと30分を切りました。

 投稿者:Sampon  投稿日:2008年12月31日(水)23時32分30秒
  まったく早いもので、12月になったと思ったのがついこの間なのにもう大晦日とは。今年も私にとって激動の1年であり、アップダウンの激しい年でした。パラオ、硫黄島、グアムと年に3回も戦跡めぐりをしたのは学生時代以来ではないかと思います。少々無理をし過ぎたか、サイトの更新もままならないうちに閉鎖に追い込まれ、目下新プロバイダを模索中です。来年こそはサイト充実を図りたいと思いますので、何卒皆様ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。来年一年が皆様にとって平穏で実り多き年になりますよう、お祈りいたします。

CinC-GF様

またご返事遅くなってしまって申し訳ございません。グアムに毎年いらしているとは羨ましい限りです。私も、この4年半の間トランジットも入れると4回行っていますから結構行っている方ではありますが。

CinC-GF様の書かれた、鵬部隊の記述は前にも拝見しましたが、今回改めて読み返して感慨新たにいたしました。というのもグアムに同行した方で五二一空で戦死された方のご遺族がいらしていてお話を色々伺ったものですから。同部隊で魚雷の整備をされていたという方にも以前お会いしてお話しを聞きましたが、お書きになっている16年志願の方より1年少々遅れて海軍に入られていらっしゃいます。ですから、もう四等水兵という階級もなくなっていた頃ですね。

グアムの慰霊公園(『南太平洋戦没者慰霊公園』と言いますが、グアムは中部太平洋にあるんですがね。。。日本から見れば南でも赤道より北ですから)には『我無山平和寺』というマリア観音を祀るお寺があって、私の知っている限りでは祐天寺と川崎大師からお坊さんが派遣されてきていらっしゃいました。19年前パラオに行って遺品の印鑑と金歯を拾い、帰途グアムの平和寺でお経を上げていただき供養したことも思い出します。今は無人になってしまっていますが、在留邦人の有志で管理しておられ、綺麗に保たれています。慰霊碑のペンキも今年塗り替えられてすっかり美しくなりました。嬉しいことに、近年は日に5、6台は観光バスも立ち寄るようになったとのことで、先般の慰霊祭の際にも観光客で献花してくださった方がありました。この慰霊公園の由来、建設にまつわるエピソードなども後ほどご紹介してまいります。

では、よいお年を!
 

又木山 戰没者墓苑

 投稿者:CinC-GF  投稿日:2008年12月18日(木)10時46分7秒
  ご遺族の方から伺った話ですが、墓苑の中に居住家屋もあって 以前は 佛教會から 各宗派が交代で僧侶を派遣してゐたそうです。
ところが 僧侶といえども、いや 僧侶であるからこそ、棲むこと能はず 現在は空き屋になってゐます。
以前、次女とサイパンを訪れたことがあります。ラスト・コマンドで 霊感の強い娘は数珠を片手に わなわなと躯を震わせて滂沱の涙を流しはじめたことがあります。
なにを語るや。

観光に行く人も 是非 慰霊に訪ねて欲しいと思ってをります。

http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/guam-1.htm

 

大宮島 慰霊祭

 投稿者:CinC-GF  投稿日:2008年12月17日(水)16時50分18秒
  先ずは ご自愛の程を。

グアムへは毎年 必ず行ってゐます。 まず最初に戰没者墓苑にお参りします。
元鵬部隊兵士の方に いまでもご厚誼いただいてをり、以前 おさそいしたことがあるのですが、観光地のグアムは見たくないと辞退されました。
URLは その方のことを書いたもので、ご一読いただければ幸甚です。

靖國神社案内板に映ってゐるのが Sampon さんですか。

http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/captainkamei.htm

 

CinC-GF様

 投稿者:Sampon  投稿日:2008年12月14日(日)01時15分8秒
  ご無沙汰しております。毎年冬になると酷い風邪に何度か掛かるのですが、今年は職場の改編で疲労が溜まっていたものか10月下旬に早くも39度台の発熱をいたしました。その2日後にグアムでの戦闘を体験された元兵士の参加する、おそらく最後の現地慰霊祭に参列し、朝7時成田着の便で帰国したその足で出勤という無茶なことをしたもので更に体力を消耗。10年ぶりくらいに体重が60キロを割りました。

しかし仕事は休みを与えてくれずほぼ毎日日付変更線を越えての帰宅なもので帰ってパソコンを立ち上げる気力も湧かない状態がずっと続いておりました。週末は週末で娘の幼稚園の行事やらダンスの習い事の影響で2歳の息子と留守番というシチュエーションが多くて、やはり自分の時間がほとんど無く、この掲示板を通じてのみ残されたコミュニケーションをサボってしまい申し訳ない限りです。以上、言い訳終了。

さて、先日市ヶ谷に外勤したついでに靖国神社に参拝して帰社しましたら、月毎の慰霊祭の予定を書いてある案内板に八日「大詔奉戴六十七年祭」と書かれていました。「大詔奉戴日」が現役の言葉として使われていることに軽い驚きを感じた次第です。それにしてもその日に弟さんがお生まれになったとは、CinC-GF様には二重に忘れ難い記念日ですね。

娘のダンス発表会が今日無事に終了しましたし、体力もどうやら平常に戻りましたので、掲示板書き込みとホームページ復活作業を始められそうです。スローペースかも知れませんが、ご寛容のほどお願い申し上げます。
 

大詔奉戴日

 投稿者:CinC-GF  投稿日:2008年12月 9日(火)15時57分18秒
  昨日は 畏くも「大詔奉戴日」
一件も書き込みがないのは寂しいかぎり。
やはり 一日も早くホーム・ページを復活して下さい。

67年前、母の陣痛が始まり、灯火管制の真っ暗な夜道を、産婆さんを迎えに行ったことを憶えてゐる。  弟も 満六十七歳。

http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/

 

「いおうじま」と「いおうとう」

 投稿者:Sampon  投稿日:2008年11月 5日(水)08時03分45秒
  今回の訪島で教えられたのは、これまで「いおうじま」で呼ばれていた島がここ数年で「いおうとう」にすっかり変わったことです。自衛隊の基地司令の説明では、小笠原村議会の決議が発端だそうですが、それもこれもイーストウッドの映画で硫黄島が有名になったから、というのも複雑な気分です。もっとも、昔の海図に「いおうじま」と書かれていたり、旧島民で「いおうじま」と呼んでいた人もいたとの話しもありました。以前、hushさんがこの掲示板でそんな話しをされていましたね。

写真の管制塔も、昔は「IWO-JIMA」と書かれていたのが、今は「硫黄島 IWO TO」に塗り替えられました。

おいどん様

おっしゃるとおり、自衛隊関係者以外で島に行けるのは極くわずかですから、今回の訪問は本当に貴重な機会でした。全島が墓地であるというのも自衛隊の方が何度も口にされ、戦死者への敬意が隊員皆に行き渡っていたのが感動でした。ただ、残念なことに私が行った直前に自衛隊員が壕内で迷って熱中症で亡くなる事故があって、初めてのケースとのことでした。ご冥福をお祈りします。
 

お久しぶりです。

 投稿者:おいどん  投稿日:2008年11月 3日(月)22時55分50秒
  samponさん、お久しぶりです。
板を直リンクしてましたので、詳細分かりましたが、HP消えてて吃驚しました。
また新しいサーバー決まりましたら、板で結構ですので、ご紹介ください。
硫黄島に行かれたのですね。
全島が墓標の硫黄島は自衛隊関係か政府関係で無いと行けない島です。
今も島の地下には、多数の遺骨が眠ってるとか。。
沖縄と違い、島民がいない島ですので、基地以外の開発はされていませんね。
HP復活の際は是非島の紹介もお願いします。
 

硫黄島に行ってきました

 投稿者:Sampon  投稿日:2008年11月 2日(日)22時16分46秒
編集済
  皆様、お久しぶりです。

この1ヶ月半最高に仕事が忙しく、また体調もすぐれなくてやたらに疲れやすくなって書き込みする余裕がなく、ご無沙汰してしまいました。

とは申せ、なぜか戦跡に立つと普段の数倍のエネルギーが体の奥底から湧き出るのですから不思議です。通勤電車の中で書類かばんの重さが肩に食い込んで辛いというのに、それよりずっと重いカメラ機材をリュックに背負って道なき道を歩いても全く苦にならないのはどういうことでしょう。どうやら生きる活力維持のためには戦跡通いが必要だと気づき、パラオで当分打ち止めにするつもりだったのですがもうしばらく続けることにいたしました。

ちょうどそんなことを考えていた折、伝手あって民間人が普通は行けない硫黄島への慰霊訪島団に特別参加させていただくことが出来まして、たった6時間半ほどの滞在でしたが夢にまで見た硫黄島に行って参りました。

硫黄島に着いたのが9時すこし前、天山の慰霊公園で慰霊祭を行い、二十七航戦司令部、米軍上陸海岸、擂鉢山、海軍医務科壕、兵団司令部壕などを見学して15時半には帰途に就きました。そんな訳で見られたのは硫黄島のごく一部で、「あれは千田壕の入り口」、だとか「あの慰霊碑が・・・」と説明だけ聞かされて車で素通りされるのは辛いものがありました。絶対に行くと心に決めていながら、あるいは一生行かれないかも知れないと思っていた地を踏んでいる感動を到着時に感じながら、離れる時にはこれはまた来なければ、と新たな決意をして参りました。

さっそく、わがホームページで硫黄島速報をお知らせしなければ、と思うところですが、折悪しくAOLの「マイプレイス(ホームページ)サービス」が10月一杯で一方的に打ち切られてしまい、サイト閉鎖に追い込まれてしまいました。新しいプロバイダを見つけてサイトを再開するまでは、しばらくこの掲示板で写真の紹介など続けて参りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

ご紹介する写真の第一号は米軍上陸海岸から見る擂鉢山です(解説しなくても分かりますね)。
 

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